No.401
2008-04-20
「じゃあな」
494 船の旅・考
493 「キャタピラー」
492 急がば回れ!
491 三浦哲郎の歳月
490 未完絶筆 良寛
489 女優というもの
488 「クロッシング」
487 ペシャワール会 中村哲
486 独楽吟
485 6月15日に考える
484 究極の分かち合い
483 思い出袋
482 浦河べてるの家2
481 経営者人材
480 「茜色の空」
479 「嗚呼 満蒙開拓団」
478 追悼・井上ひさし
477 ホスピス・ものがたりの郷
476 拉致家族会
475 ものがたり診療所
474 実朝忌
473 地域金融
472 日韓併合100年
471 「逝かない身体」
470 春近し
469 みすず書房
468 イサム壮行会
467 労働市場の改革を!
466 天上大風
465 ベーシックインカム
464 捨てる心地よさ
463 「カティンの森」
462 回想の魔術
461 ノンエリートの社会空間
460 「普天間」を乗り切る
459 光州の記憶
458 死者よ来たりて
457 ビジネス・インサイト
456 率直な疑問
455 自己愛に沈む若者
454 続・演劇の力
453 演劇の力
452 「こどものその」
451 農業政策の分岐点
450 抱きしめたい8月
449 “こころ”という代物
448 不良少“女の一生”
447 湯布院と博多祇園山笠
446 男おひとりさまの老後
445 ふるさときゃらばん公演
444 名古屋市に注目!
443 トップ人事と秘話
442 バロン・サツマ
441 「グラン・トリノ」
440 「パンデミック」
439 後輩X君へ
438 すべてが廃虚に
437 「法然と親鸞」
436 「ムサシ」
435 ヒトを選ぶ
434 闇社会・京都の影
433 笑うしかないか
432 ラジオと映画
431 通訳から作家へ
430 「生き急ぐ」内村剛介
429 携帯を忘れた旅
428 1枚の賀状から
427 “がん”からの生還
426 2人の恩人との別れ
425 育英基金構想
424 レッドクリフ
423 アパの真相
422 無冠の車椅子
421 画家 木下晋
420 科学者たちの楽園
419 救急精神病棟
418 紅とんぼ
417 極道記者
416 機先を制する
415 新・脱亜論
414 浜口陽三・南桂子
413 朝の靴音
412 “友川カズキ”を贈る
411 コンベンションビジネス
410 キューバ
409 信長
408 横付けサービス
407 脱・脱ダムと新幹線
406 ポスト消費社会
405 黒山もこもこ
404 ふり返る勇気
403 吹田事件
402 伏木・没落旧家
401 「じゃあな」




 飲み友達との別れ際、愚息との電話を切る時、ほぼ常套言で口をついて出るのが「じゃあな」である。恐らく、この世とおさらばする時も、これで済むだろうと思っている。どんな問題でもじっくり話をする習慣を身につけてこなかったのだ。思い起こせばこんな記憶がある。北池袋の下宿に深夜、女性問題で悩む親友が、酒の勢いを借りて押しかけてきた時だ。「おい、あんまりしゃべるな。薄っぺらなものになってしまうぞ」とさえぎって、全く別の話に切り替えて、安いサントリーレッドを喉に押し流した。具体的で直截な話は、意外と説得力を持たない。世情に通じていないこともあるのだろうが、男特有のはにかみ、照れ性にも原因がある。意外と、別れた後にそういえばと思い起こされる余白、余韻、余情に多くのヒントが込められている。そんな気がしてならない。
 大切なことはすべて酒場から学んだという詩人・田村隆一の連載エッセイをまとめた「自伝からはじまる70章」(思潮社・詩の森文庫)がある。昭和15年ごろの新宿界隈。酒神はそこに降りたもうたのであろう。喫茶「ノヴァ」が2階で、階下が西洋居酒屋「ナルシス」。たまり場である。もちろん「ツケトイテ」で帰ることができる。無知という強さと未成年を武器に、文学芸術を語り、「諸君、希望するな、たえず絶望を持て!」などと奇声を発する酒場である。草野心平が出している店が「火の車」。心平はどこかに飲みにいってしまって、かみさんだけがポツンとすわっている。ビールというと、おかみさんが手を出す。まず、ビール代を取って、それから酒屋へ駆け出していった、という逸話だ。
 こんなくだりがある。ぼくより3〜4歳上の大学生で、ときに背広を着た富山訛りの青年がやってきたが、戦後になって、彼は慶応仏文の学生で、「孤独の広場」を書いた堀田善衛だということが、やっと分かった。そう堀田もここの常連だったのである。その店の雰囲気が知りたければ、「若き日の詩人たちの肖像」を一読せよ、と。とにかくハチャメチャで面白く、若者の客気があふれていた。しかしその若者達が、背にしていたのは厳しい死の予感である。
 ここでも「じゃあな」が出てくる。学生だけに許されていた徴兵猶予が即時停止になった。43年の学徒出陣であるが、その仲間達に令状が次々にやってくる。「じゃあな」。これが彼らとの別れの言葉だった。「秋風や 言葉つたなくわかれけり」。これが田村の発した唯一の定型詩。
 「若き日の・・・」の締めくくりに、堀田善衛にきた令状をそのまま載せている。臨時召集令状、到着日時 昭和18年11月15日午後1時、到着地 富山市五福歩兵第35連隊。臨時たあ何だ、人を招集しておいて臨時もないもんだ、無礼千万な、と思うのであるが、あまり腹も立たなかった、とある。
 いまひとつ、この言の背後にあるものを挙げておきたい。なれる、を拒否しているのだ。狎れる、馴れる、慣れる、狃れる、眤れる、褻れる。どれもこれもなれなれしい漢字。というのが茨木のり子。「じゃあな」には、なれないぞ、の意志も込めている。
 はてさて、駄文つづりも400回を超えてしまった。ほぼ8年、我ながらあきれるというより、執着する粘液的な性格もひそんでいるのだと、嫌な気分だ。淡白、恬淡、含羞を自称し、そこにこそわが美学があるとも思っているのに、なぜだとなる。不甲斐ないのである。別の見方からすると、根っからの貧乏性なのだ。堀田善衛夫人は、午前中どんなに電話が鳴ろうと出なかったという話だ。静かな午前を他人に邪魔されてたまるか、ということらしい。ところが、60過ぎの老人は、ちょっと電話が鳴ろうものなら、2階から転げ落ちるように受話器に向かって駆け出している。この彼我の差をどうみるか。これは間違いなく貴賎の差だ。あわてない、他人の思惑に左右されない、毅然と自分の領分を守るなどなど、ほど遠い資質ばかりだ。今更「貴」なるものは身に付かない、身に付くはずがない。じゃあな。

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