No.403
2008-05-05
吹田事件
495 「さすらいの舞姫」
494 船の旅・考
493 「キャタピラー」
492 急がば回れ!
491 三浦哲郎の歳月
490 未完絶筆 良寛
489 女優というもの
488 「クロッシング」
487 ペシャワール会 中村哲
486 独楽吟
485 6月15日に考える
484 究極の分かち合い
483 思い出袋
482 浦河べてるの家2
481 経営者人材
480 「茜色の空」
479 「嗚呼 満蒙開拓団」
478 追悼・井上ひさし
477 ホスピス・ものがたりの郷
476 拉致家族会
475 ものがたり診療所
474 実朝忌
473 地域金融
472 日韓併合100年
471 「逝かない身体」
470 春近し
469 みすず書房
468 イサム壮行会
467 労働市場の改革を!
466 天上大風
465 ベーシックインカム
464 捨てる心地よさ
463 「カティンの森」
462 回想の魔術
461 ノンエリートの社会空間
460 「普天間」を乗り切る
459 光州の記憶
458 死者よ来たりて
457 ビジネス・インサイト
456 率直な疑問
455 自己愛に沈む若者
454 続・演劇の力
453 演劇の力
452 「こどものその」
451 農業政策の分岐点
450 抱きしめたい8月
449 “こころ”という代物
448 不良少“女の一生”
447 湯布院と博多祇園山笠
446 男おひとりさまの老後
445 ふるさときゃらばん公演
444 名古屋市に注目!
443 トップ人事と秘話
442 バロン・サツマ
441 「グラン・トリノ」
440 「パンデミック」
439 後輩X君へ
438 すべてが廃虚に
437 「法然と親鸞」
436 「ムサシ」
435 ヒトを選ぶ
434 闇社会・京都の影
433 笑うしかないか
432 ラジオと映画
431 通訳から作家へ
430 「生き急ぐ」内村剛介
429 携帯を忘れた旅
428 1枚の賀状から
427 “がん”からの生還
426 2人の恩人との別れ
425 育英基金構想
424 レッドクリフ
423 アパの真相
422 無冠の車椅子
421 画家 木下晋
420 科学者たちの楽園
419 救急精神病棟
418 紅とんぼ
417 極道記者
416 機先を制する
415 新・脱亜論
414 浜口陽三・南桂子
413 朝の靴音
412 “友川カズキ”を贈る
411 コンベンションビジネス
410 キューバ
409 信長
408 横付けサービス
407 脱・脱ダムと新幹線
406 ポスト消費社会
405 黒山もこもこ
404 ふり返る勇気
403 吹田事件
402 伏木・没落旧家
401 「じゃあな」




 昭和30年代が「三丁目の夕日」などと懐かしがられているが、その年代の冒頭でもある昭和30年6月25日に、朝鮮戦争が勃発している。東京タワーから発せられたテレビ放送は、その戦争から日本国民の目を逸らさせる謀略であったのかもしれない。「日本テレビとCIA−発掘された正力ファイル」(有馬哲夫著 新潮社)は、米国が日本の共産化を防ぐため対日心理戦略の一環として、テレビ放送網の整備を支援した構図を検証している。「名犬ラッシー」「ビーバーちゃん」に夢中になり、アメリカの豊かさに憧れ、いつかはあの国へ行ってみたいと誰もが思いを馳せた。大人達は「あんな国とよく戦争をしたものだ」と恐れ入っていた。「米国を通じてしか世界を見ない」戦後世代日本人の精神構造が深く静かに形成されていった、と寺島実郎は指摘する。
 その謀略は成功した。確かに歴史の表層である戦後復興は世界から賞賛されるほどだった。しかし復興を支えた好景気は、朝鮮戦争の兵站基地となり、隣国の人々の血であがなわれていた事実を多くの国民は知らない。
 吹田事件は反戦実力闘争である。朝鮮戦争2年目にあたる6月24日未明に起き、日本からの軍需物資輸送を阻止するため、大阪・吹田操車場が舞台となった。軍需列車を1時間遅らせれば、同胞1000名の命が助かるといわれ、日本共産党が主導し、在日朝鮮人が中心となって、学生、市民などがデモに参加した。
 ここは詩人・金時鐘が同事件50周年記念シンポで行った講演で概要を紹介する。彼は済州島4.3事件を闘い、奇跡のような幸運で大阪・生野区に辿りついた。逃げ出してきたという罪悪感に苛まれ、すぐに日本共産党に入党している。当時の彼らの認識では、朝鮮戦争は同族相食む戦争ではなく、北朝鮮とアメリカとの戦争であった。それは南の大韓民国がどのように作られたか、を知っているからだ。日本の敗戦で解放に沸き立つ同国に、何としても反共の橋頭堡を築こうとしたアメリカは、その軍政下、李承晩を大統領に据えて、どれほどの白色テロを行ったか。蝿一匹殺すよりも簡単に、共産主義者、自由リベラルを掲げる同胞を殺していった。親日守旧勢力の右翼を盛り立て、警察を彼らの守護として、やりたい放題の中で、大韓民国の基礎を作ったのである。日帝支配下と変わらなかった。そんな彼らにとって北の朝鮮民主主義人民共和国は、天を仰いで恥じない正義と希望の存在であった。在日にとって、米軍に接収された伊丹基地から、人間をコークスと化すナパーム弾を満載した米軍機が、日夜母国に飛び立っていくそれは、いたたまれないことだった。
 伊丹に近い大阪大学の豊中キャンパスに、ほぼ3000人が集まった。夜中に集会は終わったけど、もう終電車が出たからと、駅長に談判して人民電車を走らせている。実はこれは機動隊を欺く陽動作戦で、別のデモ隊は、国鉄の吹田操車場に向かった。列車輸送阻止のために決死隊が組織され、線路に身を投げるという作戦も用意していた。幸いにして、列車は来なかった。しかし、火炎瓶がデモ隊から投じられる事態に、機動隊はピストルを水平に構え、実際に発砲する興奮状態となり、けが人が続出した。結局、300人が逮捕され、111人が起訴された。その裁判は21年かかったが、最高裁で無罪を確定させた。
 試練はその後も続く。正義とした北朝鮮で、休戦協定の直後に大粛清が始まったのである。南朝鮮労働党の党首であり、殖民地統治下の間もほとんどの思想家、活動家が亡命して祖国を離れる中で、光州の瓦工場の一労働者として動かなかった朴憲永が北で処刑された。その他越北した数え切れない良心の人々が消息を絶つこととなった。北は完全に変質してしまったのである。また一方で、共産党は六全協で方針を転換、これに合わせて朝鮮総連も方針を変えることになり、吹田事件は極左冒険主義と、身内から指弾されることとなる。金時鐘はその組織で、すべての権利を剥奪されている。孤立無援の中で、彼は問い続け、拉致でも北を論断している。
 そんな辛酸をなめ尽くした金時鐘の目こそ、アメリカに代わる視点となると思っている。良質な在日の目こそ、アジアでの共生を拓くものでもあろう。
 参照/「わが生と詩」(金時鐘著 岩波書店)。「なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか」(平凡社)

302372