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「ポカリポカリ生まれた命だ。カクンカクン息絶えた命だ」。ウイスキーを飲まないと歌えない男が、命をふりしぼるように叫び、ギターを撥で叩くようにかき鳴らす。しかも秋田弁である。「歯車だけで擦り切れて、立っているだけの能無しだ」とも続く。フォーク歌手・友川カズキの「一切合財 世も末だ」である。とにかく聞く奴の胸もかき鳴らさないでおかない。本当は「生きているって言ってみろ」をレコード店で探したが在庫はなかった。ところが、http://jp.youtube.com/watch?v=a1xry5szUKkで余禄を付けて聞けたのである。友川の生き様を、この曲を添えて、今ごろは辞表を突き出している男に聞かせたいと思った。
生きる力というのは、いつ、どのように身に付くのか。この場合の生きる力というのは、薄汚いものを自らかなぐり捨てるほどのもの。辞表男に何の力になれないことは確かだが、荒野に立てば、いままで潜在していた獣性のような生命力が出てくる。一度の人生を、実存として生きるチャンスでもあるのだ、と。
そんな思いのところに、友川カズキが飛び込んできた。何気なく手にしたスポーツグラフィック誌「ナンバー」703号。「無償の放熱〜友川カズキと能代バスケット〜」と題して、藤島大が寄稿している。元早稲田ラガーらしく、猛然とタックルして、そのままの勢いの書き方だ。
バスケットには疎いのだが、能代工業はあの田臥を輩出し、高校界では無敵を誇る存在ぐらいは知っている。そこにはやはり先駆的な指導者・加藤廣志がいたのだ。その加藤が、選手としてではなく、指導者としての才能を高く評価した男がいた。もし相手チームであれば、と畏怖するほどであった。男の名は及位典司。「のぞきてんじ」と読む。これが誰あろう、友川カズキである。バスケットが彼の原点だったのだ。藤島の取材は、友川の棲み処である6畳一間のアパートで、1升瓶を傍らに、アルミ鍋をつつきながら行われた。友川は58歳、削ぎ落とした無頼さが、あの歌い方につながっている。
意志の身体化。スポーツ特訓の真髄を指している。バスケットであれば、ルーズボールの争奪に絶対負けないように、放り上げられたボールの奪取を何度も何度も繰り返す。血反吐を吐いてもなお繰り返し、意識を身体にしみ込ます。そんな小さな領域を持つこと。それをいかに持たせるか、が指導者にかかっている。スポーツだけに限らない。
及位は勇んで能代工業バスケット部に入るが、加藤監督はその資質をすぐに見抜き、選手ではなくマネージャーとする。ここのマネージャーは、監督のすぐ下、主将の上に位置し、笛を持ちコーチ役を兼ねる。「マネージャーは監督の分身なり」というのが、能代バスケ強さの核心。及位マネは、2畳の下宿に移り住み、猛然とその職分を果たし、国体で初の全国制覇につながった。とてつもなく真っ直ぐで、一途で小細工がない、出会えてよかったと、エピソードに事欠かない。
高校卒業後上京とあるが、奇妙な空白を残す。つまり高校バスケという組織に納まる個性ではなく、はじき出されたと考えるのが当たっていよう。日本橋の婦人服卸問屋に就職したが、すぐに退社。自意識過剰の男が接客に向くはずもなかった。その後、友川かずきと名前を偽って練馬の飯場にもぐり込む。以後、新聞配達、労務者、旋盤工、ボーイ、クラブ歌手と、転々とする。
教科書を広げたこともない特異な資質に、太宰治、中原中也が絡みつき、岡林信康につながって、宇崎竜童と出会い、歌手デビューとなる。それに加え、詩人であり、中上健次が認める画家であり、競輪評論家でもある。
辞表男よ、薄汚れた月給などくれてやれ!つまらぬ不運と口にするな!友川に人生の“もし”が沢山あるように、君にも人生の面白い“もし”が始まろうとしているのだ。同期入社の友人達がそこで定年を迎える10数年後、「生きているって言ってみろ」を歌う君に、立っているだけの能無しだったと彼らは思い知ることだろう。 |
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