No.421
2008-10-26
画家 木下晋
494 船の旅・考
493 「キャタピラー」
492 急がば回れ!
491 三浦哲郎の歳月
490 未完絶筆 良寛
489 女優というもの
488 「クロッシング」
487 ペシャワール会 中村哲
486 独楽吟
485 6月15日に考える
484 究極の分かち合い
483 思い出袋
482 浦河べてるの家2
481 経営者人材
480 「茜色の空」
479 「嗚呼 満蒙開拓団」
478 追悼・井上ひさし
477 ホスピス・ものがたりの郷
476 拉致家族会
475 ものがたり診療所
474 実朝忌
473 地域金融
472 日韓併合100年
471 「逝かない身体」
470 春近し
469 みすず書房
468 イサム壮行会
467 労働市場の改革を!
466 天上大風
465 ベーシックインカム
464 捨てる心地よさ
463 「カティンの森」
462 回想の魔術
461 ノンエリートの社会空間
460 「普天間」を乗り切る
459 光州の記憶
458 死者よ来たりて
457 ビジネス・インサイト
456 率直な疑問
455 自己愛に沈む若者
454 続・演劇の力
453 演劇の力
452 「こどものその」
451 農業政策の分岐点
450 抱きしめたい8月
449 “こころ”という代物
448 不良少“女の一生”
447 湯布院と博多祇園山笠
446 男おひとりさまの老後
445 ふるさときゃらばん公演
444 名古屋市に注目!
443 トップ人事と秘話
442 バロン・サツマ
441 「グラン・トリノ」
440 「パンデミック」
439 後輩X君へ
438 すべてが廃虚に
437 「法然と親鸞」
436 「ムサシ」
435 ヒトを選ぶ
434 闇社会・京都の影
433 笑うしかないか
432 ラジオと映画
431 通訳から作家へ
430 「生き急ぐ」内村剛介
429 携帯を忘れた旅
428 1枚の賀状から
427 “がん”からの生還
426 2人の恩人との別れ
425 育英基金構想
424 レッドクリフ
423 アパの真相
422 無冠の車椅子
421 画家 木下晋
420 科学者たちの楽園
419 救急精神病棟
418 紅とんぼ
417 極道記者
416 機先を制する
415 新・脱亜論
414 浜口陽三・南桂子
413 朝の靴音
412 “友川カズキ”を贈る
411 コンベンションビジネス
410 キューバ
409 信長
408 横付けサービス
407 脱・脱ダムと新幹線
406 ポスト消費社会
405 黒山もこもこ
404 ふり返る勇気
403 吹田事件
402 伏木・没落旧家
401 「じゃあな」




 鉛筆で描く。といっても、軽いものではない。彼の描く眼は何かを射抜いている。彫塑、クレヨン、ペイント、油絵、墨など表現素材の変遷を重ねて、ようやく鉛筆に辿り着いた。ニューヨークの画廊600余りを、油彩画を携えて訪ね歩いたがすべて断られ、オリジナリティの必要を思い知らされてのこと。鉛筆画しかないと思い定めた時に、思いがけない最高のモデルを得ることになる。人間国宝となった瞽女・小林ハル。その瞽女唄の虜となって、描きたい衝動が突き上げてきた。見えない眼でもって見据えている眼を、深いしわの奥に潜んでいる、何かを凝視する眼を描いて見せた。それは超微細な鉛筆粒子で塗り込められているのだが、塗り込んでいるのは人間の深い情念のようにも思われる。白髪1本も、しわのひとつも、おろそかにしていない。生の痕跡を見逃すものかという執念である。それほどの衝撃を与えずには置かない。
 いささか賛辞が過ぎたかなと思う。というのは画家本人の振る舞いから、この男にしてあの絵がどうして、とつい思ってしまうのだ。7〜8年前に、友人の家で、一緒に飲む機会があった。ふたりは47年生まれの、富山市立五福小学校からの同級生で、何の遠慮もいらない間柄である。木下本人が自分のことをこんな風に述懐しているが、その通りである。
 若かりし頃の私は、陳腐な野心と思い上がりで突っ走ったようなところがあった。いずれも自分は頂上を極める器だから、そうした時に困らぬよう、現在トップに立っている人物に会い、その立ち居振る舞いの帝王学を自らに課していた。しかし、意味もなくそうした人物の会えるわけでもない。自分の作品を掲げ晒すことで口実を作り、まるで他流試合を挑むかのような武芸者の如き気負いが私にはあった。
 そんな彼を思い起こしてくれたのは「洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵」を手にしたからである。この6月に求龍堂から出版され、木下作品の油彩画「女の顔」を収録している。洲之内は木下を世に出したひとり。「帰りたい風景〜気まぐれ美術館」(新潮文庫)に出会いを書き留めている。洲之内の現代画廊で最初の個展を開くのだが、滝沢修とか大島渚などに電話を掛け出して、見に来てくれという。知っているのかというと全く知らないといって動じない。また洲之内の思想転向について聞きたがり、お座なりな返事をすると、開き直って突っ掛かってくる。コンプレックスと自信がないまぜになり、上昇志向が際立つ、鼻持ちならない性格といっていい。けれどもどうも憎めない。
 わが友人はいう。彼の生い立ちからすれば、そのくらいのことでへこたれてはやっていけない、どん底の辛酸をなめている。3歳の時に、自宅の火災から町を追い出され、呉羽山の竹やぶの中に住んでいた。弟は餓死し、母親はそれが原因で神経を病み、家出を繰り返し、飢餓線上を彷徨う生活であった。中学2年の美術教師が、彼の才能を見つけた。富山大学教育学部の大滝直平助教授を紹介し、彫刻、デッサンを学ばせた。この助教授もまた、旅費を工面してやって、滝口修造などを訪ねさせている。これが大きな素地となって、いまの木下に活きている。
 どんな才能も、きっかけがなければ花開くことはない。そのきっかけは、ちょっとした一言でいいのである。木下の最初の作品購入者は高岡の銅器を梱包する箱作り職人で、爪に火をともすような生活にも拘わらず買っている。納棺夫日記の青木新門が、インド旅行に木下を誘っている。もちろん旅費持ちだ。好奇心のままにヒンズー寺院や貧民窟を訪れ、身包みはがされて、命からがらの旅ではあったが、哲人然としたインド人をモデルにした絵は、鉛筆画でしか描けないものである。
 10月16日、同窓会に合わせて、上野の2つの美術館で話題のフェルメール展、ハンマースホイ展を見たのだが、北欧の静謐な絵画はどうも苦手である。情念のほとばしるようなものが性に合っているようだ。
参考/「生の深い淵から」(木下晋著 里文出版)

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