No.431
2009-02-17
通訳から作家へ
495 「さすらいの舞姫」
494 船の旅・考
493 「キャタピラー」
492 急がば回れ!
491 三浦哲郎の歳月
490 未完絶筆 良寛
489 女優というもの
488 「クロッシング」
487 ペシャワール会 中村哲
486 独楽吟
485 6月15日に考える
484 究極の分かち合い
483 思い出袋
482 浦河べてるの家2
481 経営者人材
480 「茜色の空」
479 「嗚呼 満蒙開拓団」
478 追悼・井上ひさし
477 ホスピス・ものがたりの郷
476 拉致家族会
475 ものがたり診療所
474 実朝忌
473 地域金融
472 日韓併合100年
471 「逝かない身体」
470 春近し
469 みすず書房
468 イサム壮行会
467 労働市場の改革を!
466 天上大風
465 ベーシックインカム
464 捨てる心地よさ
463 「カティンの森」
462 回想の魔術
461 ノンエリートの社会空間
460 「普天間」を乗り切る
459 光州の記憶
458 死者よ来たりて
457 ビジネス・インサイト
456 率直な疑問
455 自己愛に沈む若者
454 続・演劇の力
453 演劇の力
452 「こどものその」
451 農業政策の分岐点
450 抱きしめたい8月
449 “こころ”という代物
448 不良少“女の一生”
447 湯布院と博多祇園山笠
446 男おひとりさまの老後
445 ふるさときゃらばん公演
444 名古屋市に注目!
443 トップ人事と秘話
442 バロン・サツマ
441 「グラン・トリノ」
440 「パンデミック」
439 後輩X君へ
438 すべてが廃虚に
437 「法然と親鸞」
436 「ムサシ」
435 ヒトを選ぶ
434 闇社会・京都の影
433 笑うしかないか
432 ラジオと映画
431 通訳から作家へ
430 「生き急ぐ」内村剛介
429 携帯を忘れた旅
428 1枚の賀状から
427 “がん”からの生還
426 2人の恩人との別れ
425 育英基金構想
424 レッドクリフ
423 アパの真相
422 無冠の車椅子
421 画家 木下晋
420 科学者たちの楽園
419 救急精神病棟
418 紅とんぼ
417 極道記者
416 機先を制する
415 新・脱亜論
414 浜口陽三・南桂子
413 朝の靴音
412 “友川カズキ”を贈る
411 コンベンションビジネス
410 キューバ
409 信長
408 横付けサービス
407 脱・脱ダムと新幹線
406 ポスト消費社会
405 黒山もこもこ
404 ふり返る勇気
403 吹田事件
402 伏木・没落旧家
401 「じゃあな」




 帰国子女の先駆けといっていいだろう。1959年から64年までの5年間、チェコスロバキアのプラハにあったソビエト学校で学んだ。ロシア語の授業で、彼女が9歳から14歳の時。みずみずしい記憶細胞にしみ込んでいったことは間違いない。そこは全世界50カ国から、共産党の幹部候補生、弾圧を逃れた亡命共産主義者達が集って来ていた。ほとんどが「平和と社会主義の諸問題」という雑誌の編集局に在職し、プラハの労働者平均給与の4〜6倍の報酬を得、高級アパートが提供され、共産主義運動の一元的な指導、理論構築がなされていた。フルシュチョフのスターリン批判演説をうけて、ハンガリー動乱が起きたのが56年。ソ連崩壊の兆しが見え隠れする時期である。ソビエト学校はその子弟のためのもので、優秀な教師も揃っていた。父は、日本共産党から派遣されていた米原昶(いたる)。夫人も唯物論者であったという。とりわけ父の影響を最も受けながら育ったのが彼女・米原万理である。残念ながら06年5月に、がんで亡くなっている。その奔放な才能を振りまきながら、56歳の生涯を駆け抜けていった。雑誌「ユリイカ」(青土社)が1月号で、彼女の特集を編んだ。
 帰国後、東京外大学ロシア語科に学び、東大大学院の露文学専攻修士課程を終えている。ところが就職先がない。「共産党一家ということもあって、就職がみつからないの」と訪ねたのが、通訳をしていた徳永晴美。きれいに響き、ネイティブ並みのロシア語を身につけているのだが、やはりコツがいる。如何に云ったかではなく、何を云ったか、というわけだが、最初の同時通訳では、ヘッドホンを脱ぎ捨てて「だめ、私はやっぱり才能がない」と叫んでいる。それが「逐語訳型ではなくて、無駄を省いた本質を伝える意訳タイプ」というお墨付きを得る第一人者となって、ゴルバチョフ出現あたりから膨大な仕事が舞い込み、鎌倉に庭付きの邸宅を手に入れるまでになった。本人はそれを「ペレストロイカ御殿」と呼んでいる。
 もともと通訳で収まる才能、性格ではなかった。彼女の存在感と個性が、時に発言者を超えてしまうのである。こんなこともあった。「私にもお客さんと同じものを出してください」と通訳用の簡単なサンドイッチを突き返した。発言者が非論理的なことをいうと、「そんな発言、きちんと翻訳できるわけがないじゃない」とたしなめる事も。
 熱心な読者ではないが、「嘘つきアーニヤの真っ赤な真実」(角川書店)がある。ソビエト学校時代の友人を探し、訪ね歩く話だ。子供であったギリシャ人、ルーマニア人、ユーゴスラビア人が、プラハの春、ビロード革命、ユーゴ紛争とそれぞれ歴史の激動に翻弄される3人を、活写している。作家の才能が、女性らしい観察眼で躍動している。戯作でない水準を保ちながらの読者サービスといった方がいいかもしれない。
 シモネッタと自称するが、男への飽き足らなさはひょっとすると、父・昶の影響かもしれない。オシッコ飛ばし競争で、チンポコを振り回す男を見た時の驚き。人体の器官で、ある条件下で6倍に膨張するものは、との質問に、下を向き顔を真っ赤にして答えられないという少女(正解は瞳孔)。「終生ヒトのオスは飼わず」と居直ってしまった。思想でもそうである。万理の亡骸に取りすがって号泣した起訴休職中の外務官僚・佐藤優だが、父母と同じ唯物論を信じ、鋳型にはまった共産党の思考を遂に抜け出すことはなかったといっている。組織と個人という永遠の課題に、父の存在に金縛りになって、自由な知性が解き放れなかったという批判である。
 08年秋、山形遅筆堂ギャラリーで「通訳から作家へ 米原万理展」が開かれた。妹ユリは、井上ひさし夫人である。ひさしの原作「父と暮せば」の露語訳もこなし、そんな関係からの開催でもあった。不思議な人の巡り合せというが、これほどのダイナミックさも彼女にあたわったものなのだろう。

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