No.433
2009-03-08
笑うしかないか
494 船の旅・考
493 「キャタピラー」
492 急がば回れ!
491 三浦哲郎の歳月
490 未完絶筆 良寛
489 女優というもの
488 「クロッシング」
487 ペシャワール会 中村哲
486 独楽吟
485 6月15日に考える
484 究極の分かち合い
483 思い出袋
482 浦河べてるの家2
481 経営者人材
480 「茜色の空」
479 「嗚呼 満蒙開拓団」
478 追悼・井上ひさし
477 ホスピス・ものがたりの郷
476 拉致家族会
475 ものがたり診療所
474 実朝忌
473 地域金融
472 日韓併合100年
471 「逝かない身体」
470 春近し
469 みすず書房
468 イサム壮行会
467 労働市場の改革を!
466 天上大風
465 ベーシックインカム
464 捨てる心地よさ
463 「カティンの森」
462 回想の魔術
461 ノンエリートの社会空間
460 「普天間」を乗り切る
459 光州の記憶
458 死者よ来たりて
457 ビジネス・インサイト
456 率直な疑問
455 自己愛に沈む若者
454 続・演劇の力
453 演劇の力
452 「こどものその」
451 農業政策の分岐点
450 抱きしめたい8月
449 “こころ”という代物
448 不良少“女の一生”
447 湯布院と博多祇園山笠
446 男おひとりさまの老後
445 ふるさときゃらばん公演
444 名古屋市に注目!
443 トップ人事と秘話
442 バロン・サツマ
441 「グラン・トリノ」
440 「パンデミック」
439 後輩X君へ
438 すべてが廃虚に
437 「法然と親鸞」
436 「ムサシ」
435 ヒトを選ぶ
434 闇社会・京都の影
433 笑うしかないか
432 ラジオと映画
431 通訳から作家へ
430 「生き急ぐ」内村剛介
429 携帯を忘れた旅
428 1枚の賀状から
427 “がん”からの生還
426 2人の恩人との別れ
425 育英基金構想
424 レッドクリフ
423 アパの真相
422 無冠の車椅子
421 画家 木下晋
420 科学者たちの楽園
419 救急精神病棟
418 紅とんぼ
417 極道記者
416 機先を制する
415 新・脱亜論
414 浜口陽三・南桂子
413 朝の靴音
412 “友川カズキ”を贈る
411 コンベンションビジネス
410 キューバ
409 信長
408 横付けサービス
407 脱・脱ダムと新幹線
406 ポスト消費社会
405 黒山もこもこ
404 ふり返る勇気
403 吹田事件
402 伏木・没落旧家
401 「じゃあな」




「ちょっと、今日のおれ、すごいな」。立川談志は自分の落語に酔い痴れて、ついこう漏らして、また本筋に入っていったという。架空の演目を演じながら現実に戻し、また架空に返す。それを淀みなく、むしろそうすることで、その演目の良さが際立ってしまう。それも名人芸かもしれない。寄席はやり直しがきかない本番勝負。携帯電話などは最もやっかいな代物だ。落語好きに若者は少ない。若者は慣れているから電源の切り忘れという事はない。生死確認コールなどと家族に持たされているじいさんの場合だ。演じている最中にピンピンピーンと鳴り出す。まず自分のものだと気づかない。気づいても操作に手間取ってモタモタする。その時間の長く感じること。さあ、どうする。落語家の力量はそんな時に判明する。無視して続けるか、それとも切れてしまってお客を怒鳴りつけて台無しにしてしまうか。そ知らぬ振りして、話を携帯電話が出てくるように変えて、その客とやり取りし、また演目の筋に戻してしまう。そんな水際立った落語家として、談志、志の輔、談春などを挙げている。
 東京新聞の小さな書評に引かれて、寄席のエピソードを取材した「青い空、白い雲、しゅーっという落語」(双葉社)を読んでいる。フリーライターの堀井憲一郎の著で、年400回ほど寄席に出かけている。これを読むと、談志のそれは一度見てみたいと思う。談志の歳を考えると、急がなければならない。
 さて、その弟子の志の輔だが、わが衣料品店に度々顔を出していた。新湊・立町商店街。この商店街の骨董店「竹内商店」で育ったのが彼である。昭和35年頃だから、彼は5歳程度か。「あの竹内のガキが志の輔け、ちっちゃいがに、よう口のまわった子やったちゃ」というのがわが両親の印象。さもありなんと納得の様子だ。
 その志の輔も、どんな状況であれ、客を“落語の状態”にするのが落語家の必要条件としている。つまり、場が読めて、その場にあったことを当意即妙にしゃべれるということ。その点では、師匠・談志は遠く及ばない天才だとしている。余談だが、談志は山手線の中で、稽古をつけたという。自分は座席に座り、通路に弟子を静座させて、さあやれというのだ。いつでも、どこでも“落語の状態”という鍛え方である。紙一重の世界でもあるのだ。
 もうひとつ忘れられないことがある。富山の婦中町にある千里山荘で、3代目三遊亭円歌の独演会を開いた。10年前のことで、組織していた「にいかわレディス」の例会である。歌奴時代に「しんお〜くぼ」「やまのあなあな」などを演じて人気を得、また日蓮宗で得度をして、円法とも名乗っている。自分の両親、妻の両親、亡くなった先妻の両親の老人6人を引き受けて介護をする「中沢家の人々」を新作で発表したばかりの時で、これを演じてくれた。その時、出席が危ぶまれたガン末期のI夫人が杖をついて会場にやってきていた。椅子を用意し、邪魔にならない前の方に席を設けたのだが、笑い転げるように笑ってもらった。期せずしてのうれしい感動で、円歌の仕草、語り口が今でも目に浮かぶ。1年を待たずに亡くなられたが、あの笑顔がその時の参加者全員に共有されている。音楽療法もあるのだから、落語療法もあっていいのだ。笑いこそ免疫力アップに欠かせない、
 さて、笑ってしまいたい世相になってきた。東京新聞3月6日朝刊、辺見庸が「水の透視画法」で深い絶望を詠んでいる。麻生首相である。「よく笑う。何が楽しいのか、真白い歯をみせて、かれはよく笑う。笑いながら、首をちょいと心もち横にかしげて。下手な子役か女形みたいに、さも恥ずかしそうにしてみせたりもする。お得意の気障な所作なのだろう。よわい70に近いのに、ときにお稚児のような表情をしたりして、さても面妖である」。英雄気どりの勘ちがい男は、日本の腐敗した権力を表象、と容赦ない。
 また、あの酩酊会見財務相の海外出張代金だ。2時間を待てば定期便があるのに、何と4100万円をかけてチャーター便を使っている。怒りを超えて、笑い飛ばすしかないか。

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