No.440
2009-05-18
「パンデミック」
494 船の旅・考
493 「キャタピラー」
492 急がば回れ!
491 三浦哲郎の歳月
490 未完絶筆 良寛
489 女優というもの
488 「クロッシング」
487 ペシャワール会 中村哲
486 独楽吟
485 6月15日に考える
484 究極の分かち合い
483 思い出袋
482 浦河べてるの家2
481 経営者人材
480 「茜色の空」
479 「嗚呼 満蒙開拓団」
478 追悼・井上ひさし
477 ホスピス・ものがたりの郷
476 拉致家族会
475 ものがたり診療所
474 実朝忌
473 地域金融
472 日韓併合100年
471 「逝かない身体」
470 春近し
469 みすず書房
468 イサム壮行会
467 労働市場の改革を!
466 天上大風
465 ベーシックインカム
464 捨てる心地よさ
463 「カティンの森」
462 回想の魔術
461 ノンエリートの社会空間
460 「普天間」を乗り切る
459 光州の記憶
458 死者よ来たりて
457 ビジネス・インサイト
456 率直な疑問
455 自己愛に沈む若者
454 続・演劇の力
453 演劇の力
452 「こどものその」
451 農業政策の分岐点
450 抱きしめたい8月
449 “こころ”という代物
448 不良少“女の一生”
447 湯布院と博多祇園山笠
446 男おひとりさまの老後
445 ふるさときゃらばん公演
444 名古屋市に注目!
443 トップ人事と秘話
442 バロン・サツマ
441 「グラン・トリノ」
440 「パンデミック」
439 後輩X君へ
438 すべてが廃虚に
437 「法然と親鸞」
436 「ムサシ」
435 ヒトを選ぶ
434 闇社会・京都の影
433 笑うしかないか
432 ラジオと映画
431 通訳から作家へ
430 「生き急ぐ」内村剛介
429 携帯を忘れた旅
428 1枚の賀状から
427 “がん”からの生還
426 2人の恩人との別れ
425 育英基金構想
424 レッドクリフ
423 アパの真相
422 無冠の車椅子
421 画家 木下晋
420 科学者たちの楽園
419 救急精神病棟
418 紅とんぼ
417 極道記者
416 機先を制する
415 新・脱亜論
414 浜口陽三・南桂子
413 朝の靴音
412 “友川カズキ”を贈る
411 コンベンションビジネス
410 キューバ
409 信長
408 横付けサービス
407 脱・脱ダムと新幹線
406 ポスト消費社会
405 黒山もこもこ
404 ふり返る勇気
403 吹田事件
402 伏木・没落旧家
401 「じゃあな」




 忘れていた宿題が突きつけられた。新型インフルエンザが猛威を振るいそうな気配に急遽出版された「パンデミック」(新潮選書)。感染症が世界的規模で同時に流行する意味だが、著者名を見た時である。小林照幸、記憶にあるなと直感し、思い出した。いつか読まねばと、佐々学・旧富山医科薬科大学元学長の著書と並んでいる「フィラリア〜難病根絶に賭けた人間の記録」(TBSブリタニカ刊)だ。このノンフィクション作家によって書かれ、「首のない死体は西郷(隆盛)のものなのか?」で始まる。フィラリアの特長は象のように足が太くなる象皮病、陰嚢水腫(キンタマが大きくなる)などであるが、西郷はこれに罹っていて、下腹部が検められてようやく確認された。それはさておき、その根絶の最大功労者として、佐々学が最初に取材されている。
 さて宿題だが、佐々学長の晩年だ。結果からすると騙されるように黒部で病院を開業するが、実印を相手に渡してしまう無防備さで、思わぬ負債にぼろぼろになってしまった。さるパーティでは隅の方で、ひとりぽつんと日本酒を飲んでおられた。そんなこともあり、そこまで追い込んだ“わが地域のあり様”を明らかにしなければならないと思い込み、これを自らに課していたのであるが、遂に果たすことはできなかったようだ。
 学長室を訪ねたのは、昭和60年の秋。「とやまテクノ大賞」の審査委員長をお願いしたいとの用向きであった。机の傍らに長靴が揃えて置かれ、本棚で隠すようにデスクの上に顕微鏡が置かれている。怪訝そうな顔を見て、「僕はね、ユスリカの研究をしているだろう。いつでも川に入れるように長靴は必需品なんだ」と屈託がない。富山市松川沿いのマンションにお邪魔した時は、玄関に清酒立山6本が入った木箱が置かれていて、「富山の酒はおいしいね。魚も自分でさばくんだよ」とこれまた人を警戒する素振りもない。初回の大賞受賞は、わが先輩でもある米田祐康が立ち上げたニッポンジーンとなった。バイオベンチャーの先駆けで、遺伝子を切断する制限酵素を大手に伍して挑戦していて、佐々学長の強い推薦に一同肯くしかなかった。
 また、東京在住の富山県出身学生を集めた企画で講演をお願いし、会場は虎ノ門パストラルと伝え、前日にホテルを用意しますといったら、東京の自宅は目の前だから歩いていけるということで驚いた。芝白金の一等地である。父は内科医で神田・杏雲堂病院長、祖父は東京大学初代細菌学、衛生学の教授、ふたりの叔父もそれぞれ千葉大、岡山大の教授とその系譜は目もくらむようなもので、納得した。本人も東大医学部だが、恩賜の金時計をもらった首席卒業だと明かしてくれたのが利根川進の恩師でもある渡辺格慶大名誉教授。ふたりの対談を行った時だが、「いわば日本のトップ頭脳を富山に招いているのだから、そのつもりで」と諭された。
 それがどうであろうか。利用するに事欠いて、カネまで巻き上げてしまうというこの地域の料簡を、どう理解すればいいのだろうか。昭和58年4月の着任の時、愛車であったサニーカリフォルニアに、ユスリカの標本を詰め込んで松本、大町を抜け、親不知を通り、宇奈月温泉に予約なしに一宿を乞うている。そして、気に入ったのである。黒部の地もそんな縁から選んでいるのかもしれない。恥ずかしい限りである。都の権威を、三拝九拝して招き利用しながら、結果として襤褸切れのように捨ててしまった。筆者の誤解、聞き間違いもあるかもしれないので、真相を知る人はぜひ、語ってほしい。
 平成18年4月10日、恐らく一言の恨みをいう事もなく逝ってしまった。享年90歳。浅草育ちながら魚津に住んだ池田彌三郎が肝硬変に罹り、あまり飲めない状態の時、富山第一ホテルのバーでふたりが飲んでいる。東京で付き合いがあり、畏友と称していた。それから間もなくして池田彌三郎は不帰の客となるのだが、富山県中どこに行っても彼の死を悼んでいるのを知り、富山とはそれほど文化人を大事にするところかと佐々は感じ入っている。皮肉としかいいようがない。自分だけはよいとするパンデミックでなければよいが。

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