No.448
2009-07-26
不良少“女の一生”
495 「さすらいの舞姫」
494 船の旅・考
493 「キャタピラー」
492 急がば回れ!
491 三浦哲郎の歳月
490 未完絶筆 良寛
489 女優というもの
488 「クロッシング」
487 ペシャワール会 中村哲
486 独楽吟
485 6月15日に考える
484 究極の分かち合い
483 思い出袋
482 浦河べてるの家2
481 経営者人材
480 「茜色の空」
479 「嗚呼 満蒙開拓団」
478 追悼・井上ひさし
477 ホスピス・ものがたりの郷
476 拉致家族会
475 ものがたり診療所
474 実朝忌
473 地域金融
472 日韓併合100年
471 「逝かない身体」
470 春近し
469 みすず書房
468 イサム壮行会
467 労働市場の改革を!
466 天上大風
465 ベーシックインカム
464 捨てる心地よさ
463 「カティンの森」
462 回想の魔術
461 ノンエリートの社会空間
460 「普天間」を乗り切る
459 光州の記憶
458 死者よ来たりて
457 ビジネス・インサイト
456 率直な疑問
455 自己愛に沈む若者
454 続・演劇の力
453 演劇の力
452 「こどものその」
451 農業政策の分岐点
450 抱きしめたい8月
449 “こころ”という代物
448 不良少“女の一生”
447 湯布院と博多祇園山笠
446 男おひとりさまの老後
445 ふるさときゃらばん公演
444 名古屋市に注目!
443 トップ人事と秘話
442 バロン・サツマ
441 「グラン・トリノ」
440 「パンデミック」
439 後輩X君へ
438 すべてが廃虚に
437 「法然と親鸞」
436 「ムサシ」
435 ヒトを選ぶ
434 闇社会・京都の影
433 笑うしかないか
432 ラジオと映画
431 通訳から作家へ
430 「生き急ぐ」内村剛介
429 携帯を忘れた旅
428 1枚の賀状から
427 “がん”からの生還
426 2人の恩人との別れ
425 育英基金構想
424 レッドクリフ
423 アパの真相
422 無冠の車椅子
421 画家 木下晋
420 科学者たちの楽園
419 救急精神病棟
418 紅とんぼ
417 極道記者
416 機先を制する
415 新・脱亜論
414 浜口陽三・南桂子
413 朝の靴音
412 “友川カズキ”を贈る
411 コンベンションビジネス
410 キューバ
409 信長
408 横付けサービス
407 脱・脱ダムと新幹線
406 ポスト消費社会
405 黒山もこもこ
404 ふり返る勇気
403 吹田事件
402 伏木・没落旧家
401 「じゃあな」




 彼女の家は、中心商店街からちょっと外れた元の市民病院前にあった。隣は山小屋という喫茶店で、代書屋、寿司屋が並んでいる。格子戸のある小さな和風のたたずまいで、表札の反対側に、琴三弦教室という小さな看板が掛かっていた。清明堂書店はその商店街の入口にあり、行き帰りに、ここがあいつの家か、と確認していたものだが、06年に取り壊された。背は低かったが、とかくの噂に彩られていた。タバコも吸っていたし、上級生の男子とよく歩いてもいた。早熟であったのだろう、同級生を子ども扱い視する風でもあった。不良といわれようと、何ら臆することがなかった。
 彼女の眼には、どんな風に映っていたのであろうか。野暮で、度胸もなく、せこせことしたダサい高校生であったことは間違いない。“ふん”と見向きもされなかった。
そんな彼女の音信といえば、東京藝術大学音楽部邦楽科を出て、上野・鈴本で出囃子をやっている、というくらい。ところが亡くなった同級生Hと新宿で痛飲した時、これから彼女の家に繰り出すといって、タクシーに乗り込んだ。Hは淀みなく、「環七通りを代田へ」と云う。初めてではないのか、と関係を訝ったが、その時は不在であった。多分社会人になって間もなくの昭和45年の頃だったと思う。
 そんな彼女と、何と45年ぶりの再会である。小柄な人間は年を取らないようだ。経緯はさておき、さりげなく公演のチラシを差し出してくる。「インターナショナル邦楽の集い」とあり、英訳もついていて、写真には外国人が着物姿で、小鼓を打ち、三味線を手にしている。外国の若者に、三味線などを教える会を主宰して16年になり、フォーマルな公演はこれで9回目を迎えるという。
 「昔の私からは想像できない生き方でしよう」。高校卒業までが幸せの人生チャプター1。東京に出て来てから約40年のチャプター2は、打って変わって苦しく、卑屈な思いを抱え込んで耐え忍ぶものだった。結婚し、ふたりの子を授かったが破綻して、ひとりで子育てに狂奔した。その後父親の介護が加わり、富山の老健、横浜・川崎のグループホーム、近くの療養型病院と、意識レベルが低いまま入院が続いている。それでも三味線だけは手放さず、私の苦しさを慮って月謝はいらないという先生に甘えて、20年以上も稽古を続けさせてもらった。その恩返しという意味から、外国の人に日本の伝統文化を教えたいと思ったのかもしれない。実際は大変で、当日キャンセルが多く予定が狂ったり、三味線が盗まれたり、また手元にある13丁の三味線、6調の小鼓、4巻の太鼓などの維持費が馬鹿にならない。コンサートというもののスポンサーがつくわけでもなく、チケットを手分けしてやっとのことで売り捌いても、持ち出しは必至。なによりも協力して出演してもらう方にお礼もしてあげられないのが申し訳なく、苦痛でもある。そんなこともあり今回で最後にしようと思っている。
 そういえば、04年邦楽とは全く関係のない病院勤務を辞めてから、チャプター3が始まったのかもしれない。介護のための早期退職だったが、何となく自由な心が取り戻せたし、こうして昔の友人に会う事に、ためらうこともなくなった。
 あえて不良少女といってしまったが、生きるエネルギーが他の何倍もあったからだろう。インド仏教では人生を学生期(春)、家住期(夏)、林住期(秋)、遊行期(冬)というらしいが、林住期にようやく辿り着き、チャプター4の遊行期がまだ待っているということ。それはもちろん邦楽三昧の日々になることは間違いない。そんな彼女の一生を傍らで見てきた三味線が、彼女の撥さばきでどんな音を奏でるのか、しみじみと聞いてみたいと思う。
 そしていつの間にか、高校旧31ホームの同窓会が、11月15日東京・三田の元神明宮で開催される「インターナショナル邦楽の集い」に合わせて、開かれることになった。
 

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