No.450
2009-08-19
抱きしめたい8月
494 船の旅・考
493 「キャタピラー」
492 急がば回れ!
491 三浦哲郎の歳月
490 未完絶筆 良寛
489 女優というもの
488 「クロッシング」
487 ペシャワール会 中村哲
486 独楽吟
485 6月15日に考える
484 究極の分かち合い
483 思い出袋
482 浦河べてるの家2
481 経営者人材
480 「茜色の空」
479 「嗚呼 満蒙開拓団」
478 追悼・井上ひさし
477 ホスピス・ものがたりの郷
476 拉致家族会
475 ものがたり診療所
474 実朝忌
473 地域金融
472 日韓併合100年
471 「逝かない身体」
470 春近し
469 みすず書房
468 イサム壮行会
467 労働市場の改革を!
466 天上大風
465 ベーシックインカム
464 捨てる心地よさ
463 「カティンの森」
462 回想の魔術
461 ノンエリートの社会空間
460 「普天間」を乗り切る
459 光州の記憶
458 死者よ来たりて
457 ビジネス・インサイト
456 率直な疑問
455 自己愛に沈む若者
454 続・演劇の力
453 演劇の力
452 「こどものその」
451 農業政策の分岐点
450 抱きしめたい8月
449 “こころ”という代物
448 不良少“女の一生”
447 湯布院と博多祇園山笠
446 男おひとりさまの老後
445 ふるさときゃらばん公演
444 名古屋市に注目!
443 トップ人事と秘話
442 バロン・サツマ
441 「グラン・トリノ」
440 「パンデミック」
439 後輩X君へ
438 すべてが廃虚に
437 「法然と親鸞」
436 「ムサシ」
435 ヒトを選ぶ
434 闇社会・京都の影
433 笑うしかないか
432 ラジオと映画
431 通訳から作家へ
430 「生き急ぐ」内村剛介
429 携帯を忘れた旅
428 1枚の賀状から
427 “がん”からの生還
426 2人の恩人との別れ
425 育英基金構想
424 レッドクリフ
423 アパの真相
422 無冠の車椅子
421 画家 木下晋
420 科学者たちの楽園
419 救急精神病棟
418 紅とんぼ
417 極道記者
416 機先を制する
415 新・脱亜論
414 浜口陽三・南桂子
413 朝の靴音
412 “友川カズキ”を贈る
411 コンベンションビジネス
410 キューバ
409 信長
408 横付けサービス
407 脱・脱ダムと新幹線
406 ポスト消費社会
405 黒山もこもこ
404 ふり返る勇気
403 吹田事件
402 伏木・没落旧家
401 「じゃあな」




 思い出して、心が安らぐ幼児期の体験を持っているというのは幸せである。人間の記憶が遡れるとすれば、4〜5歳ぐらいだろう。親達から何度も聞かされているうちに、それが自ら体験したようになる場合もある。そんな混然としたものであってもいい。8月はそうした記憶が蘇ってくる月である。
 母の入院先のベッドで、アルバムを手に話をする。祖母を指差し、どれほどあんたを可愛がったか、私にはこんな可愛い子を産んでくれてありがとう、と何度も繰り返しいってくれたと喜ぶ。そんな記憶を鮮やかに口にする。介護4の認知症が、深い暗闇から記憶をくみ上げてくるのだ。昭和20年8月生まれの幸せは、栗原貞子の詩「生ましめんかな」をもっていることである。
 『こわれたビルディングの地下室の夜だった。原子爆弾の負傷者たちは ローソク1本ない暗い地下室をうずめて、いっぱいだった。生ぐさい血の匂い、死臭。汗くさい人いきれ、うめきごえ その中から不思議な声が聞こえて来た。「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。この地獄の底のような地下室で今、若い女が産気づいているのだ。マッチ1本ないくらがりでどうしたらいいのだろう 人々は自分の痛みを忘れて気づかった。と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と言ったのは さっきまでうめいていた重傷者だ。かくてくらがりの地獄の底で 新しい生命は生まれた。かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。生ましめんかな 生ましめんかな 己が命捨つとも』
 この詩を読むと、朝鮮から引揚げの途次、ごった返す船の中で、列車の中で、昭和20年8月生まれを背負った祖母が「赤ちゃんがいるがやぜ」「赤ちゃんがいるがやぜ」と声を張り上げている光景が眼に浮かんでくる。生まれて45日の刷り込められた記憶である。
 墓無用論者であるが、父の新盆であれば出かけないわけにはいかない。墓掃除等は新湊に住む姉がいるので、何とかなっている。墓無用論も、どうしようもない不精さを取り繕っているだけかもしれない。当然手ぶらで、数珠だけをポケットに突っ込んできた。愚息は帰省せず、ひとりであれば所作にこだわることなく、「ありがとよ」と一言だけ手向けた。
 同じ曼陀羅寺の境内に、新湊天満宮がある。慶長17年に前田利長の重病を祈祷により快癒させたことで、前田家から道真公画像を賜り、それを祭神としたもので、別名で日吉社とも呼んでいる。往時ここでの祭礼は大変な賑わいだったという。大正14年新湊尋常高等小学校に進んだ父は、野球に熱中した。高岡古城公園グランドで、平米校、大門校、富山の八人町校と交歓試合をしている。3塁手で、愛称が“日吉の豆ちゃん”だ。そんなこともあり、平成5年に新しく再建されているが、その再建委員長を務めている。志の輔と並んで朱の灯篭を寄贈しているのだが、そんな微笑ましい記憶もうれしいものだ。お寺の正面にある中川餅店の先々代が父の同級生。その縁も大事にしなければと、父の好物であった小田巻を買い求めた。「私、おじいちゃんちゃ、知らんがやぜ」と若嫁さんが、あいさつを返してくれた。
 ちょっと足を伸ばして、海を見ることにした。奈呉の海である。小学時代の夏休み、毎日飽きることなく、小さな三角ふんどしで海に遊んだ。まっ黒に日焼けをして、背中の皮をむしりあってもいた。懐かしく、抱きしめたい8月である。
 といいつつ、期せずして8月30日は投票日となった。戦後64年にして、本格的な政権交代となるのかどうか。老人党に依拠しつつ、単純な利益誘導、怒り暴発を避けつつ、無能で、見識のない政党、政治家を数回に分けて選別していくのだ、という眼をもって臨みたいと思っている。

301414