No.452
2009-09-04
「こどものその」
495 「さすらいの舞姫」
494 船の旅・考
493 「キャタピラー」
492 急がば回れ!
491 三浦哲郎の歳月
490 未完絶筆 良寛
489 女優というもの
488 「クロッシング」
487 ペシャワール会 中村哲
486 独楽吟
485 6月15日に考える
484 究極の分かち合い
483 思い出袋
482 浦河べてるの家2
481 経営者人材
480 「茜色の空」
479 「嗚呼 満蒙開拓団」
478 追悼・井上ひさし
477 ホスピス・ものがたりの郷
476 拉致家族会
475 ものがたり診療所
474 実朝忌
473 地域金融
472 日韓併合100年
471 「逝かない身体」
470 春近し
469 みすず書房
468 イサム壮行会
467 労働市場の改革を!
466 天上大風
465 ベーシックインカム
464 捨てる心地よさ
463 「カティンの森」
462 回想の魔術
461 ノンエリートの社会空間
460 「普天間」を乗り切る
459 光州の記憶
458 死者よ来たりて
457 ビジネス・インサイト
456 率直な疑問
455 自己愛に沈む若者
454 続・演劇の力
453 演劇の力
452 「こどものその」
451 農業政策の分岐点
450 抱きしめたい8月
449 “こころ”という代物
448 不良少“女の一生”
447 湯布院と博多祇園山笠
446 男おひとりさまの老後
445 ふるさときゃらばん公演
444 名古屋市に注目!
443 トップ人事と秘話
442 バロン・サツマ
441 「グラン・トリノ」
440 「パンデミック」
439 後輩X君へ
438 すべてが廃虚に
437 「法然と親鸞」
436 「ムサシ」
435 ヒトを選ぶ
434 闇社会・京都の影
433 笑うしかないか
432 ラジオと映画
431 通訳から作家へ
430 「生き急ぐ」内村剛介
429 携帯を忘れた旅
428 1枚の賀状から
427 “がん”からの生還
426 2人の恩人との別れ
425 育英基金構想
424 レッドクリフ
423 アパの真相
422 無冠の車椅子
421 画家 木下晋
420 科学者たちの楽園
419 救急精神病棟
418 紅とんぼ
417 極道記者
416 機先を制する
415 新・脱亜論
414 浜口陽三・南桂子
413 朝の靴音
412 “友川カズキ”を贈る
411 コンベンションビジネス
410 キューバ
409 信長
408 横付けサービス
407 脱・脱ダムと新幹線
406 ポスト消費社会
405 黒山もこもこ
404 ふり返る勇気
403 吹田事件
402 伏木・没落旧家
401 「じゃあな」




 大学を定年で辞めると同時に、自分の理想である幼児教育を実践しようと、私財のすべてを投じて設立した。高岡市大町にある林教育研究所付属「こどものその」で、国からも自治体からも一切の援助を受けなかった。幼稚園、保育園といった枠に縛られたら、自由な教育が出来ないと思ったからだ。昭和52年、林三雄・富山大学教授65歳の時である。明治45年生まれの97歳、わが亡父と同じ明治生まれで、息子同士は高校同期であった。8月30日、その生涯を閉じた。
 富山駅で、その姿を見かけると必ず声をかけるようにしていた。神通川を越えてすぐにある田刈屋の奥まった家から、小さな身体で自転車を駆って駅まで来て、高岡行きの列車に乗っていた。80歳を超え90歳近くまで、そんな通勤であった。ちょっと見には、大学で教育心理学を極めた人とはとても見えず、どこにもいるじいさんのように見えたに違いない。もちろん無給である。天下り官僚も無給であれば、誰も文句はいわないと思うのだが、それはさておき、ある時、ケアハウス「ちゅらさん」に引越ししました、女房の方が相当よわってきているので、と新しい名刺をもらった。それが言葉を交わす最後となった。
 「こどものその」は親立とも称している。公立でも、私立でもない、親が幼児教育に積極的に参加し、責任を持つという考えである。3歳児から受け入れているが、2歳でも受け入れている。年長、年中、年少が入り混じった教室で、食事もおやつも一緒に食べて、異年齢交流を大切にしている。また一斉の指導ではなく、朝やってくると、先生が「きょう何したい」と聞いて、その子のやりたいこと、挑戦したいことを原則やらせている。目的感を持つことが最も大事だと考え、そのことによって自立感が養えるからだ。幼児期に生きるための根底となる、希望、自主性、意志力、これを頭ではなく、身体で感じるように育てたい、との教育理念だ。
 また自分の経験から、「先生中心の教え込み競争主義の教育」は大嫌いと宣言している。富大付属小・中の校長の時に、エリート選抜に疑問を投げかけ、抽選による選抜に改善しようとして、父兄OBと物議を醸している。国立の学校が一部のエリート養成に加担し、私物化されているのが我慢ならなかったようだ。こうしてみてくると、シュタイナーの教育と似ているようにも思うが、著作からは窺うことができない。
 さて、林教授へのひとつの疑問である。わが同級生は林家の養子である。しかも高校入学時からで、それまで魚津西部中学では小柳姓であった。子供がいなかったので、多分甥っ子を引き取ったのであろうが、その意図は何であったのか。その教育理論とどう整合するのか。一度聞いて見たいと思っていたが、聞きそびれてしまった。養子という複雑さが、今思うと、彼を苦しめていたように思う。同級生は健康そのもので、人情脆くて、惚れ易い、その上酒好きで強かった。そんな性格がすべて裏目に出て、22年前に他界してしまった。浜松での葬儀に駆けつけた時、ぜひ弔辞をとその場で頼まれ、涙声で「おい、思い切り飲んでるか」と叫んだのが、昨日の様に思い出される。
 葬儀は、同級生の遺児である孫の大君が引き受けた。親父の面影を色濃く受け継いでいて、180センチの偉丈夫だ。頼もしく見えてうれしかった。横には年上の恋女房であった朱美さんがいて、元気そうに笑ってくれた。園児達が歌ってくれたのが「生きもの地球紀行」の主題歌ビリーブ、聞いていると涙がにじんできた。教育に一生を捧げた愚直な明治男、ここに逝く。そんな心地よい気持ちで葬儀会場を後にした。
 もうひとつ。鰥夫の哀しさといおうか、喪服を取り出したのはよかったが、カビが方々に出ているのだ。払ってしまえば何ともないが、ちょっとひっかかった。そして、厳に戒めるように、自分にいい聞かせた。こんなことで弱気になってはいけない。鰥夫の矜持を忘れずに、女性を家政婦とする邪な心に惑うことなかれ、と。

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