No.459
2009-11-03
光州の記憶
495 「さすらいの舞姫」
494 船の旅・考
493 「キャタピラー」
492 急がば回れ!
491 三浦哲郎の歳月
490 未完絶筆 良寛
489 女優というもの
488 「クロッシング」
487 ペシャワール会 中村哲
486 独楽吟
485 6月15日に考える
484 究極の分かち合い
483 思い出袋
482 浦河べてるの家2
481 経営者人材
480 「茜色の空」
479 「嗚呼 満蒙開拓団」
478 追悼・井上ひさし
477 ホスピス・ものがたりの郷
476 拉致家族会
475 ものがたり診療所
474 実朝忌
473 地域金融
472 日韓併合100年
471 「逝かない身体」
470 春近し
469 みすず書房
468 イサム壮行会
467 労働市場の改革を!
466 天上大風
465 ベーシックインカム
464 捨てる心地よさ
463 「カティンの森」
462 回想の魔術
461 ノンエリートの社会空間
460 「普天間」を乗り切る
459 光州の記憶
458 死者よ来たりて
457 ビジネス・インサイト
456 率直な疑問
455 自己愛に沈む若者
454 続・演劇の力
453 演劇の力
452 「こどものその」
451 農業政策の分岐点
450 抱きしめたい8月
449 “こころ”という代物
448 不良少“女の一生”
447 湯布院と博多祇園山笠
446 男おひとりさまの老後
445 ふるさときゃらばん公演
444 名古屋市に注目!
443 トップ人事と秘話
442 バロン・サツマ
441 「グラン・トリノ」
440 「パンデミック」
439 後輩X君へ
438 すべてが廃虚に
437 「法然と親鸞」
436 「ムサシ」
435 ヒトを選ぶ
434 闇社会・京都の影
433 笑うしかないか
432 ラジオと映画
431 通訳から作家へ
430 「生き急ぐ」内村剛介
429 携帯を忘れた旅
428 1枚の賀状から
427 “がん”からの生還
426 2人の恩人との別れ
425 育英基金構想
424 レッドクリフ
423 アパの真相
422 無冠の車椅子
421 画家 木下晋
420 科学者たちの楽園
419 救急精神病棟
418 紅とんぼ
417 極道記者
416 機先を制する
415 新・脱亜論
414 浜口陽三・南桂子
413 朝の靴音
412 “友川カズキ”を贈る
411 コンベンションビジネス
410 キューバ
409 信長
408 横付けサービス
407 脱・脱ダムと新幹線
406 ポスト消費社会
405 黒山もこもこ
404 ふり返る勇気
403 吹田事件
402 伏木・没落旧家
401 「じゃあな」




 富山湾沿いの入善町に吉原という地区がある。そこの恵比寿祭りは、「吉原木遣り」を唄い、本物に近い船神輿を担ぎ、ねり歩く勇壮なものだ。日本海の荒波の中を漕ぎ出していく心意気を謳っている。神輿の重さで、担ぎ手の肩は擦りむけるほどで、「ヨイヨイヨイヤサ、アンコデヨイトナ」の掛け声がいい。昭和の初期に、この地域の人々が朝鮮・光州に多く移住している。
 9月の末日に、入善町の旅館かしはら館を訪ねた。昨年12月に父を亡くした時、当主である柏原常三さんの安否を真っ先に尋ねたのだが、「あれー、うちのも11月に亡くなったがいぜ」と返ってきた。これで光州の記憶が消えていくのか、との思いに駆られた。それぞれの享年は父97歳、常三さん93歳である。時間は十二分にあったのに、何たる怠惰。今掬い取らねばと、88歳の常三夫人を訪ねたのである。夫人が光州に渡ったのは、14歳の時で、昭和8年。朝鮮侵略が仕上げに差し掛かった頃だ。
 姉が光州に嫁いでいたので、それほどの不安は無かった。ほとんど日本と変わらない生活で、言葉は日本語ですし、住まいも日本家屋で、そうそうあの小さな町に、畳屋が3軒もありました。同じ吉原出身ということで、農業試験場に務める常三と結婚したのです。生活はゆったりとしたもので、夕食後家族連れ立って、映画をよく見にいったものです。果物が豊富でおいしかった。近所付き合いも、親戚同然でした。公務員であれば、日本の俸給の6割増しに加えて、住居においても植民地ゆえの特典が想像される。「常三も認知が進んでいて、ケアマネが住所は?」と質問した時に、「弓町」と答えたのには驚きました。光州の住所です。この人の頭の中には、朝鮮の思い出が大きく占めていたのです。引き揚げて来てからは、塩田での塩の採取、アイスキャンディ屋、駄菓子屋、古着販売といろいろやりましたが、日銭が入って安定的な旅館業にようやく落ちついたのです。公務員の延長で、県庁勤務もあったのですが、通勤費を払えば残らない給与の安さで断りました。
 そして、わが記憶だ。初めての家族旅行は、小学校に入る前だから昭和25年であろうか。新湊から入善へ親子3人で出かけている。父のお古のオーバーを仕立て直しで着ていた。列車内で検札にあったら、小学生ではないとはっきりいうのだぞと、何度も念を押された。柏原旅館では大歓待され、畳敷きの映画館に行き、コタツに足を入れて寝るということを初めて知った。
 柏原家の系譜にも触れておかねばならない。貧農の出から身を起こしたのが明治29年生まれの柏原兵太郎で、大変な秀才であった。高小を中退、四高、東大法学部を出て、鉄道省に入っている。この3男がご存じ、柏原兵三で、芥川賞作家であり、「少年時代」の原作「長い道」を書いている。常三さんとは、叔父甥の関係である。印象では、常三さんは勝負師的な頭脳と強さの持ち主で、10年前に訪ねた時は、脊髄を痛めて歩くのに不自由だったが、碁盤が傍らにあり、囲碁好きのたまり場になっていた。今聞いてみると,麻雀には滅法強く、近所の商売人たちを相手に稼ぎに稼いでいたという。光州・弓町では父を交えて、花札に興じていたというから、父はカモになっていたのであろう。
 もうひとつの記憶である。光州には、7万坪に及ぶ敷紡工場があった。第6代朝鮮総督の宇垣一成が懇意にしていた敷紡社長に要請して昭和10年に操業を始めた。朝鮮人女工の労働は過酷で、昼夜2交代12時間連続の立ち仕事、寄宿舎と食堂間の移動も隊列を組まされ、3年間一度も外出が許されなかった。日本敗戦のことも女工には一切知らされず、いつの間にか日本人が工場から消えていたという。
 もう、したり顔で、歴史認識をどうのという年齢ではないと思っている。小さな一歩を自分の責任で果たしていかねばならない。来春には、わが生地でもある光州の地を踏まねばなるまいとも思っている。といっても2年前から始めたハングル講座だが、遅々として進歩しない。
 国会論戦が始まったが、加藤紘一の質問が面白かった。新しい公共の担い手論こそ、地方での論議の緊急課題とすべきだろう。
 

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