No.462
2009-12-02
回想の魔術
494 船の旅・考
493 「キャタピラー」
492 急がば回れ!
491 三浦哲郎の歳月
490 未完絶筆 良寛
489 女優というもの
488 「クロッシング」
487 ペシャワール会 中村哲
486 独楽吟
485 6月15日に考える
484 究極の分かち合い
483 思い出袋
482 浦河べてるの家2
481 経営者人材
480 「茜色の空」
479 「嗚呼 満蒙開拓団」
478 追悼・井上ひさし
477 ホスピス・ものがたりの郷
476 拉致家族会
475 ものがたり診療所
474 実朝忌
473 地域金融
472 日韓併合100年
471 「逝かない身体」
470 春近し
469 みすず書房
468 イサム壮行会
467 労働市場の改革を!
466 天上大風
465 ベーシックインカム
464 捨てる心地よさ
463 「カティンの森」
462 回想の魔術
461 ノンエリートの社会空間
460 「普天間」を乗り切る
459 光州の記憶
458 死者よ来たりて
457 ビジネス・インサイト
456 率直な疑問
455 自己愛に沈む若者
454 続・演劇の力
453 演劇の力
452 「こどものその」
451 農業政策の分岐点
450 抱きしめたい8月
449 “こころ”という代物
448 不良少“女の一生”
447 湯布院と博多祇園山笠
446 男おひとりさまの老後
445 ふるさときゃらばん公演
444 名古屋市に注目!
443 トップ人事と秘話
442 バロン・サツマ
441 「グラン・トリノ」
440 「パンデミック」
439 後輩X君へ
438 すべてが廃虚に
437 「法然と親鸞」
436 「ムサシ」
435 ヒトを選ぶ
434 闇社会・京都の影
433 笑うしかないか
432 ラジオと映画
431 通訳から作家へ
430 「生き急ぐ」内村剛介
429 携帯を忘れた旅
428 1枚の賀状から
427 “がん”からの生還
426 2人の恩人との別れ
425 育英基金構想
424 レッドクリフ
423 アパの真相
422 無冠の車椅子
421 画家 木下晋
420 科学者たちの楽園
419 救急精神病棟
418 紅とんぼ
417 極道記者
416 機先を制する
415 新・脱亜論
414 浜口陽三・南桂子
413 朝の靴音
412 “友川カズキ”を贈る
411 コンベンションビジネス
410 キューバ
409 信長
408 横付けサービス
407 脱・脱ダムと新幹線
406 ポスト消費社会
405 黒山もこもこ
404 ふり返る勇気
403 吹田事件
402 伏木・没落旧家
401 「じゃあな」




 1964年夏、ひとりの若者がアメリカに留学した。千葉大医学部の大学院を終了し、コロラド州デンバーにある小さな研究所で、喘息の研究見習いということだった。月給は225ドル、その頃のレートは固定で360円だから、81,000円。当時の東京遊学の仕送りは2万円前後、典型的なアメリカ郊外にある老夫婦の家に、2階の部屋を借りての生活だが、余裕があった。初めて乗った飛行機での、初めてのアメリカ生活、見るもの聞くもの何もかも珍しく、有頂天の日々。ビートルズ、ベトラ・クラークが歌う「ダウンタウン」の軽快なメロディが、遅かった青春を彩った。
 その若者は、長じて世界的な免疫学者となった。デンバーでの研究からひらめきを得て、71年に抑制T細胞の発見につなぐことができたのである。デンバーはまさしく「私の黄金の時」であると回想する。しかし、その黄金の時を彩ったのは、ダウンタウンの名もなき人たちだった。
 下宿としたドイツ系老夫婦との交流も最初はぎこちなかったが、夫人が英語のレッスンを引き受けてくれたことから、深まっていく。料理の交換や、隣家とのパーティなど日常些細なことだが、それらを大切にしていた。彼女が心筋梗塞に倒れ、亡くなると葬儀の手配までしている。しばらくして生活になれた若者は、ダウンタウンにある労務者が集る居酒屋の常連客となる。カントリーウエスタンのバンドが入り、まるで西部劇の場面で見たような既視感もあり、危ないという警戒心よりも、懐かしさから引き込まれた。そこの太った50歳を越えたバーメイドのおばさんとの交流が綴られている。迫力満点で、居酒屋の喧嘩まで取り仕切っていた。何故か、若者に親しみを感じさせていた。数年後、学会の帰途に立ち寄り、そのおばさんを訪ねると、糖尿病を病んで失明をしていた。もちろん、再開発でその居酒屋の跡形はなくなっていた。そして、中華レストランでの日本人・チエコ。朝鮮戦争勃発で、横須賀基地にやってきていた米兵と知り合っての「戦争花嫁」である。子供ふたりを抱えて、捨てられるように離婚をして、働いていた。財布を忘れて、カードもなくて、どうしようかと思っていた若者に、チエコは黙って立て替えてくれた。そんな彼女も子供たちとうまくいかなくなり、うつ病を病み、自死してしまう。
名もなき庶民と、見知らぬ土地で、分け隔てなく付き合えるというのは、人生を豊かに生きる不可欠の条件といっていい。
 世相と同じく落ち着かない日々にいらだっていたが、このエッセイにひととき救われる思いがした。ご存じ多田富雄教授のエッセイ集「ダウンタウンに時が流れて」(集英社)だ。「露の身ながら」「一石仙人」「寡黙なる巨人」と、わがブログには4度目の登場だが、やはり別格である。脳梗塞後に襲われてから8年余、がんをも併発しながら、左手のみで1日5時間キーボードを叩いての執筆である。それも、涙でキーボードが何度も見えなくなるまで、切実に思い出したデンバーの回想である。回想の魔術が、あのダウンタウンを目前に現出させてくれた、と跋にある。
 前立腺がんを睾丸摘出手術で、腫瘍マーカーPSAを136から6に激減させ、正常値にもどしたくだりが、悲壮を通り越したユーモアだ。学生のころあんなに苦しめた性欲もこれで消し飛んだ。「ざまあ見ろ」という気持ちになった。といって、女性の美しさに関心を失ったわけではなく、感受性は元通りだが、みだらな気持は全く起こらない。何か重くのしかかっていた「業」のようなものが飛び去ったようで、軽快な気分だとも。深作欣二とは対極の聖人君子になってしまっている。そこで、はたと考える。生殖の役割を終えれば、無用の長物か。閉経と同じように、老年男もみだらな邪念から解放される時があってもいいかもしれない。実効としては前立腺がんから解放されることでもあるらしい。期せずして、宦官の出現だ。新しい文化が生まれるかもしれないのだ。戦いを好まない、平和至上の宦官老人「9条の会」ということになる。
 07年10月18日、京都・東寺境内での野外能「一石仙人」に招いていただき、お目にかかった時の、車椅子ながら爽やかな多田さんの笑顔が思い出された。

301450