No.479
2010-04-27
「嗚呼 満蒙開拓団」
494 船の旅・考
493 「キャタピラー」
492 急がば回れ!
491 三浦哲郎の歳月
490 未完絶筆 良寛
489 女優というもの
488 「クロッシング」
487 ペシャワール会 中村哲
486 独楽吟
485 6月15日に考える
484 究極の分かち合い
483 思い出袋
482 浦河べてるの家2
481 経営者人材
480 「茜色の空」
479 「嗚呼 満蒙開拓団」
478 追悼・井上ひさし
477 ホスピス・ものがたりの郷
476 拉致家族会
475 ものがたり診療所
474 実朝忌
473 地域金融
472 日韓併合100年
471 「逝かない身体」
470 春近し
469 みすず書房
468 イサム壮行会
467 労働市場の改革を!
466 天上大風
465 ベーシックインカム
464 捨てる心地よさ
463 「カティンの森」
462 回想の魔術
461 ノンエリートの社会空間
460 「普天間」を乗り切る
459 光州の記憶
458 死者よ来たりて
457 ビジネス・インサイト
456 率直な疑問
455 自己愛に沈む若者
454 続・演劇の力
453 演劇の力
452 「こどものその」
451 農業政策の分岐点
450 抱きしめたい8月
449 “こころ”という代物
448 不良少“女の一生”
447 湯布院と博多祇園山笠
446 男おひとりさまの老後
445 ふるさときゃらばん公演
444 名古屋市に注目!
443 トップ人事と秘話
442 バロン・サツマ
441 「グラン・トリノ」
440 「パンデミック」
439 後輩X君へ
438 すべてが廃虚に
437 「法然と親鸞」
436 「ムサシ」
435 ヒトを選ぶ
434 闇社会・京都の影
433 笑うしかないか
432 ラジオと映画
431 通訳から作家へ
430 「生き急ぐ」内村剛介
429 携帯を忘れた旅
428 1枚の賀状から
427 “がん”からの生還
426 2人の恩人との別れ
425 育英基金構想
424 レッドクリフ
423 アパの真相
422 無冠の車椅子
421 画家 木下晋
420 科学者たちの楽園
419 救急精神病棟
418 紅とんぼ
417 極道記者
416 機先を制する
415 新・脱亜論
414 浜口陽三・南桂子
413 朝の靴音
412 “友川カズキ”を贈る
411 コンベンションビジネス
410 キューバ
409 信長
408 横付けサービス
407 脱・脱ダムと新幹線
406 ポスト消費社会
405 黒山もこもこ
404 ふり返る勇気
403 吹田事件
402 伏木・没落旧家
401 「じゃあな」




 忘れやすい日本人に、忘れさせてなるものか、と後から襟髪をつかんでいる人がいる。84歳になる羽田澄子映画監督だ。自らも大連生まれで、満州からの引き揚げ経験を持っているが、当時はソ満国境にいた開拓団の悲劇まで想像することが出来なかった。中国残留日本人孤児の訪日調査をきっかけに知ることになり、重いものを背負い込んだ。そして今「嗚呼 満蒙開拓団」を撮り終えて、ようやく肩の荷を降ろした気分と話す。
 昭和25年、自由学園の恩師でもあった羽仁説子の紹介で、岩波書店子会社の岩波映画製作所に入社する。羽仁進監督の下で助監督を務めた後、監督デビューを果たし、ドキュメンタリーを中心に60年間活動を続けてきたことになる。
 4月25日、黒部市・コラーレでの「世界の名画を見る会」に出向いた。上映を前に約1時間、羽田監督は膝を痛めているといって、椅子に座って講演を行った。予想に反して、当日券売りに列が出来て、ほぼ満員という状態だった。
 満蒙開拓団悲劇の歴史的背景はこうだ。昭和4年ウオール街の株暴落で始まった世界恐慌は収まることはなかった。その渦中に満州事変を引き起こし、併合した韓国を兵站基地に日本の中国侵略が本格化する。満州国という傀儡国家を打ち立て、王道楽土、五族協和という空疎なスローガンを掲げた。一方、国内での恐慌はとりわけ農村に大きな打撃を与え、欠食児童や女子の身売りが日常茶飯となる深刻なものだった。まるでこの貧窮の農村を救う切り札として、当時の広田内閣は100万戸500万人という「満州移民計画」を掲げた。「行け、満州へ。拓け、満州を」である。この計画は実は関東軍によって立案されたもので、対ソ戦略と表裏をなしている。対ソ前線に開拓団を配置すれば、戦略道路、通信網が整備され、飲料水、食糧が確保されるからだ。そして30万人に及ぶ開拓団が満州の地を踏んだ。
 敗戦目前となった昭和20年8月9日、ソ連軍が満州に侵攻した。開拓団の男は徴兵されており、残されていたのは老人と女子供である。頼みの関東軍は南方戦線に駆り出され、もぬけの殻状態となっていた。ソ連軍の第一陣は囚人部隊で、暴虐の限りを尽くす悲惨きわまりないものだった。加えて現地人の報復である。そんな中で、集団自決、飢えと栄養失調、発疹チフスによる病死、長い逃避行で8万人が亡くなり、5000人近くが残留孤児、残留婦人となった。日本国の犯した、償い切れない罪業である。
 見逃してはならない情景がある。いち早く敗戦とソ連侵攻を知った軍部は軍人家族の帰国を優先させたのである。列車に、トラックに、その家族とあふれる荷物を積み込みながら、何千人の疲労困憊の開拓難民を置き去りにして、走り去った。最も胸に突き刺さる証言だった。軍隊は国民を守りはしないということだ。
満州・方正(ほうまさ)に日本人公墓がある。難民と化した人たちは守ってくれると、関東軍のいる方正にたどり着いたが、待っていたのは酷寒の中での飢餓と病だった。苦しみ亡くなった5000体近くが眠っている。誰が立ててくれたのか、だ。昭和38年、国交以前の中国政府が建立してくれたのである。周恩来の「開拓団は、日本軍国主義の被害者である」という思想の実践といっていい。
 さて、現実である。普天間問題の本質は、中国の膨張にどう対処するかという安全保障の問題に尽きる。日米同盟を強固なものとして、対抗するしかないとするのか。周恩来、胡耀邦、趙紫陽に連なる中国の革命世代が残したヒューマンなものを信じて、外交課題に全力を挙げて取り組むのか。そんな論議が前提にならなければならない。映画会場でのすすり泣きが耳から離れない。

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