No.483
2010-05-28
思い出袋
494 船の旅・考
493 「キャタピラー」
492 急がば回れ!
491 三浦哲郎の歳月
490 未完絶筆 良寛
489 女優というもの
488 「クロッシング」
487 ペシャワール会 中村哲
486 独楽吟
485 6月15日に考える
484 究極の分かち合い
483 思い出袋
482 浦河べてるの家2
481 経営者人材
480 「茜色の空」
479 「嗚呼 満蒙開拓団」
478 追悼・井上ひさし
477 ホスピス・ものがたりの郷
476 拉致家族会
475 ものがたり診療所
474 実朝忌
473 地域金融
472 日韓併合100年
471 「逝かない身体」
470 春近し
469 みすず書房
468 イサム壮行会
467 労働市場の改革を!
466 天上大風
465 ベーシックインカム
464 捨てる心地よさ
463 「カティンの森」
462 回想の魔術
461 ノンエリートの社会空間
460 「普天間」を乗り切る
459 光州の記憶
458 死者よ来たりて
457 ビジネス・インサイト
456 率直な疑問
455 自己愛に沈む若者
454 続・演劇の力
453 演劇の力
452 「こどものその」
451 農業政策の分岐点
450 抱きしめたい8月
449 “こころ”という代物
448 不良少“女の一生”
447 湯布院と博多祇園山笠
446 男おひとりさまの老後
445 ふるさときゃらばん公演
444 名古屋市に注目!
443 トップ人事と秘話
442 バロン・サツマ
441 「グラン・トリノ」
440 「パンデミック」
439 後輩X君へ
438 すべてが廃虚に
437 「法然と親鸞」
436 「ムサシ」
435 ヒトを選ぶ
434 闇社会・京都の影
433 笑うしかないか
432 ラジオと映画
431 通訳から作家へ
430 「生き急ぐ」内村剛介
429 携帯を忘れた旅
428 1枚の賀状から
427 “がん”からの生還
426 2人の恩人との別れ
425 育英基金構想
424 レッドクリフ
423 アパの真相
422 無冠の車椅子
421 画家 木下晋
420 科学者たちの楽園
419 救急精神病棟
418 紅とんぼ
417 極道記者
416 機先を制する
415 新・脱亜論
414 浜口陽三・南桂子
413 朝の靴音
412 “友川カズキ”を贈る
411 コンベンションビジネス
410 キューバ
409 信長
408 横付けサービス
407 脱・脱ダムと新幹線
406 ポスト消費社会
405 黒山もこもこ
404 ふり返る勇気
403 吹田事件
402 伏木・没落旧家
401 「じゃあな」




 「自分が日本国籍をもつから日本政府の決断に従わなければならないとは思わなかった」。1942年5月、そんな思いを抱きつつも、彼は米国ボルチモアにあった日本人捕虜収容所で「日米交換船が出る。のるか、のらないか」と聞かれて、「のる」とこたえた。この国家(日本)は正しくもないし、必ず負ける。負けは「くに」を踏みにじる。それでも「くに」とともに自分も負ける側にいたい。敵国家(米国)の捕虜収容所にいて食い物に困ることのないまま生き残りたいとは思わなかった。まして英語の話す人間として敗北後の「くに」にもどることはしたくない。
 彼の人生を貫くものは、「国家と個人」の厳しい関係認識である。生まれてしばらくだが同じ言語を使い、同じ土地、同じ風景の中で暮してきた家族、友達。それが「くに」で、今、戦争をしている政府に反対であろうとも、その「くに」が自分のもとであることにかわりはない。現在88歳の思想家、哲学家というが、人生そのものが普通のヒトの哲学に満ちている。
 今回のテーマに擬していた岩波新書がどこかに消えてしまった。カバンをぶちまけたが出てこない、車の中だろうと思って、座席を探すが見当たらない。銀行で待つ間も手にしていたので、忘れてなかったかと問い合わせをしてみたが、ないという返事だ。はてさてと悔しさがつのり、疲れ果てる数日であった。思えば、本に始まり、眼鏡もそうだ、車のキーも、携帯電話もそうで、家の固定電話を使って、自らの携帯を鳴らして、その音の行き先を探るのもしばしばである。というわけで、2冊目の岩波新書・鶴見俊輔の「思い出袋」を手にしている。
 その後の鶴見だが、海軍軍属に志願し、ジャワ島に赴任。主に敵国の英語放送の翻訳に従事した。大本営発表とは正反対の情報を軍首脳部に届けていたのである。戦中に反戦の声を挙げなかった自責の念が強く残り、戦後「思想の科学」を創刊し、ベ平連活動の中心的な役割を果たし、脱走米兵を支援している。
 もうひとつの真骨頂は、日本の学校教育への痛烈は批判だ。日本の知識人の記憶は短い。これは明治以来の学校制度に問題があり、先生が問題を出す、正しい答は先生が出す答に決まっている。その先生が学年毎に代わるから、新しく出会う先生の答をいち早く察知して答案を書くことが知識人の習慣となっている。20年以上、自分で問題をつくることなく過ぎると、問題とは与えられたもの、その答は先生が知っているものとなる。したがって、転向をまったく不思議としないことが日本の知識人の共通の性格だ。日本の大学は、日本の国家ができてから国家がつくったもので、国家が決めたことを正当化する傾向が強い。しかしハーヴァード大学は1636年創立で、1776年の建国よりもずっと早く、国家を創り上げていくという意識である。手厳しいがその通りである。
 彼は愛読書に水木しげるの「河童の三平」を挙げている。息子にも読んで聞かせ、息子はそれを諳んじてしまって、友人や泊まりに出かけた岡部伊都子に読んで?聞かせているという。卑近だが、自分の答を信じて生きようとの証左のひとつだ。
 さて、彼が創立した思想の科学社だが、中学同期の余川典子さんが瀬戸際で踏ん張っている。数年前に自社刊のハンセン病女性の自伝「地面の底がぬけたんです」を送ってくれた。結純子の一人芝居で脚光を浴びて、版を重ねているので、うれしく、ありがたいとあった。どんな経緯で、彼女が思想の科学と関わったのか知らないが、鶴見がその功労を称えている。仕事、仕事と頑張っていて、娘から「バカみたい」と云われているらしいが、わが同期の誇りでもある。

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