No.489
2010-07-15
女優というもの
494 船の旅・考
493 「キャタピラー」
492 急がば回れ!
491 三浦哲郎の歳月
490 未完絶筆 良寛
489 女優というもの
488 「クロッシング」
487 ペシャワール会 中村哲
486 独楽吟
485 6月15日に考える
484 究極の分かち合い
483 思い出袋
482 浦河べてるの家2
481 経営者人材
480 「茜色の空」
479 「嗚呼 満蒙開拓団」
478 追悼・井上ひさし
477 ホスピス・ものがたりの郷
476 拉致家族会
475 ものがたり診療所
474 実朝忌
473 地域金融
472 日韓併合100年
471 「逝かない身体」
470 春近し
469 みすず書房
468 イサム壮行会
467 労働市場の改革を!
466 天上大風
465 ベーシックインカム
464 捨てる心地よさ
463 「カティンの森」
462 回想の魔術
461 ノンエリートの社会空間
460 「普天間」を乗り切る
459 光州の記憶
458 死者よ来たりて
457 ビジネス・インサイト
456 率直な疑問
455 自己愛に沈む若者
454 続・演劇の力
453 演劇の力
452 「こどものその」
451 農業政策の分岐点
450 抱きしめたい8月
449 “こころ”という代物
448 不良少“女の一生”
447 湯布院と博多祇園山笠
446 男おひとりさまの老後
445 ふるさときゃらばん公演
444 名古屋市に注目!
443 トップ人事と秘話
442 バロン・サツマ
441 「グラン・トリノ」
440 「パンデミック」
439 後輩X君へ
438 すべてが廃虚に
437 「法然と親鸞」
436 「ムサシ」
435 ヒトを選ぶ
434 闇社会・京都の影
433 笑うしかないか
432 ラジオと映画
431 通訳から作家へ
430 「生き急ぐ」内村剛介
429 携帯を忘れた旅
428 1枚の賀状から
427 “がん”からの生還
426 2人の恩人との別れ
425 育英基金構想
424 レッドクリフ
423 アパの真相
422 無冠の車椅子
421 画家 木下晋
420 科学者たちの楽園
419 救急精神病棟
418 紅とんぼ
417 極道記者
416 機先を制する
415 新・脱亜論
414 浜口陽三・南桂子
413 朝の靴音
412 “友川カズキ”を贈る
411 コンベンションビジネス
410 キューバ
409 信長
408 横付けサービス
407 脱・脱ダムと新幹線
406 ポスト消費社会
405 黒山もこもこ
404 ふり返る勇気
403 吹田事件
402 伏木・没落旧家
401 「じゃあな」




 ちょっと気持が怯んで、見逃した演劇がある。今でも悔しく、残念に思っている。05年の劇団民藝創立55周年記念公演「火山灰地」だ。大作で1部、2部とあり、続けて2度上京しなければならなかった。久保栄の作だが、「日本演劇史に燦然とかがやく金字塔 リアリズム戯曲の最高峰といわれる人間ドラマ」と謳いあげてあった。
 吉行和子が女優人生56年を綴ったエッセイ集「ひとり語り」が面白い。女優業と私生活をあっけらかんと語って飽きさせない。その彼女が「火山灰地」に出演している。「しの」という娘の役だが、その役つくりのエピソードだ。抱えきれない悩みを胸に、臙脂の角巻きに身を包み、恋人の炭焼き小屋を訪ねるシーンのために、実際にその舞台となった音更(おとふけ)に行き、十勝平野の炭焼き小屋まで歩いていく体験を語っている。舞台の上では5,6歩くらいのものだが、その足の感覚を身につけようとの勉強である。こうやってひとつひとつ舞台を丁寧に創っていく、よき時代だった。久保栄といえば、劇団のどんな偉い方でもカチカチになる恐ろしい存在だったという。その久保が首吊り自殺をした時に、自由が丘の自宅に駆けつけ、棺に入った姿も見ている。
 喘息で学校にまともに行けず、将来の夢もないと思っていた中学3年の時、美容師の母・あぐりがお客さんにチケットをもらったといって、民藝公演に連れて行ってくれた。これがきっかけである。こんな世界があるのだと知り、それも最初は衣裳係を目指しての民藝入団であった。その頃は俳優座、文学座、民藝の三大劇団がしのぎを削り、千田是也、杉村春子、滝沢修、宇野重吉などが活躍する、新劇全盛期の50〜60年代だ。
 吉行は「アンネの日記」の主演抜擢で、演劇界の魑魅魍魎もしっかり体験して、この世界で生きていく心構えもできた。島崎藤村作の「夜明け前」では滝沢修の女房役など、いろいろ役にも恵まれた。ところがある時、寺山修司から「民藝やめたら」「演技派女優っていわれないように」と挑発を受ける。そんな時、宇野重吉演出の「白い夜の宴」で何度稽古をしてもできない壁にぶち当たっていた。頭で解決しても、身体が動かない。どういうわけか、ひとりになりたいという衝動も重なり、4年間連れ添った同じ民藝の夫に別れを告げることになる。必然的に民藝退団も重なる。そして、鈴木忠志の早稲田小劇場「少女仮面」への出演となっていく。フリーとなった女優にいろんな出会いが彩ることになる。
 さて吉行3兄妹の愛情表現である。母あぐり同様、表面は素っ気ないのだが、意外とその絆は深い。兄・淳之介も妹・理恵も芥川賞受賞作家だが、そこらにある兄妹と変わらない。「いやはや、怖いもんだ、男には到底理解できない、子宮だ、子宮がなせるわざだ」と呻きながら、終生女性関係に悩み、「女は怖い」といい続けた兄を「可哀想な人だった」という。兄の小説は、兄の生身の心が現れてくるので、胸がしめつけられ、いまだに読みきれない。海外旅行には、引きこもりがちの理恵を誘っている。サンフランシスコでの出来事を、姉への悪意のように小説で書き込まれたが、もっと妹にネタを提供しなくては、と張り切るように思いやる。女優という仕事でしか生き残れなかった。そんな述懐が妙に印象に残る。
 いまひとつ「火山灰地」の舞台美術だ。初演の担当は伊藤憙朔(いとうきさく)。父は建築家、千田是也は弟と華麗な家系で、自らも芸大で西洋画を専攻している舞台美術の先駆者である。火山灰地の舞台道具の製作は、久保との打ち合わせも緻密さを極め、演技の方が埋没しないかと心配されるほどの出来であったという。数年前に、紀伊國屋で伊藤憙朔賞展を見たのだが、圧倒された。
 参院選も終わった。政治もひとつのショー商品のひとつになってしまった。消費し、消費される時代といってしまえばそれまでだが、日本中が二重基準を持っていて、ある時はこのカード、この時はこのカードでは、まるで混迷を自ら選んでいるに過ぎない。新聞もテレビも同様で、その責任は重い。
参照/「ひとり語り」吉行和子著 文藝春秋刊。「新劇の書」久保栄著 影書房刊。

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